コンテントヘッダー

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

相貌失認で困ったこと

私が自閉症スペクトラム症であると診断されたのは、40代に入ってからなのですが、幼少時からはっきりと自覚していた症状として、人の顔を憶えられないということがありました。

幼児のころは、しょっちゅう迷子になりそうになりかけたものです。そのときは母の顔が分からなかったので本当に不安で心細く、いつも泣きじゃくっていた記憶があります。

泣いている私を見つけた母は、いつも怒ったような口調で、「ひとりで勝手に歩いて行ってはダメじゃないの」などと注意するのですが、それが私にはよくわからなかったのです。なにしろ、一人になるのは本当に怖かったのですから。

いつの間にか、私は顔を覚えにくいというハンディーを、その人の服装や体型、髪形などを記憶することでカバーすることを身につけていました。

相貌失認はかなり重く、芸能人の顔もほとんど識別することができず、例えばキャンディーズやピンクレディーなど、おそろいの服を着ているアイドルは誰が誰だか分からいので、興味が持てませんでした。
(小学校高学年になるころようやく識別できるようになる)

小学生の頃はそれでも、服装や髪形や体型、話し方などでクラスメイトの特徴を憶えることができたので、顔を憶えることの苦手さは思ったよりも気になりませんでした。

(それよりも問題だったのは場面緘黙症のため、学校でほとんど話す事が出来なくなってしまった事です)

※場面緘黙症については、中学に入った頃から担任の教師やクラスメイトに恵まれ、自分からも少しずつ話せるようになりました。

相貌失認で本当に悩まされたのは、中学生になった時でした。

中学生になると、学校では全員が制服を着ているわけなので、服装で個人を識別するということができなくなり、校則で髪形もかぎられてくるので、手がかりが少なくなり、クラスメイトを憶えるのにかなりの日数を要しました。

さらに困ったことに、部活動は基本全員加入でしたので、体操部に入ったのですが、先輩の顔を憶えることが難しいので、あいさつをすることができず、何度叱責されたか分かりません。

そのため休日は外に出かけると、いつ先輩に出会うか分からないため、買い物などにもできるだけ日が暮れてから行くなど、引きこもり気味にならざるを得ず、気苦労がたえなかったです。

中学三年生になり受験を意識し始めるころに、ようやく自由に外出ができるようになり、気持ちが多少リラックスしたのが良かったのか、少人数ですが友達もできて、学校生活の中で、少しは楽しいこともあるのだと思えるようになりました。

(次回へ続く)



テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム
ジャンル : 心と身体

このページのトップへ
コンテントヘッダー
コンテントヘッダー

コメントの投稿

非公開コメント

このページのトップへ
このページのトップへ
プロフィール

ナート

Author:ナート
☆訪問ありがとうございます☆
                              *成人するまでの成長過程では場面緘黙症をはじめとするさまざまな心身の不調に悩まされました。
社会人となるころには場面緘黙症は克服できたと思えたのですが、仕事上のストレスからうつ病となり、それが現在にいたるまで続いています(二次障害としてのうつ病)。

40代となった今でも対人関係は苦手です。家族ともあまりうまく話せないという現実があります。それでも以前に比べれば随分進歩したようです。

転職を繰り返し、ようやく「自分にとっては天職かもしれない」と思える仕事・職場に巡り合えました。パートタイムの仕事ですが、確定診断後から約5年半続いています。ありがたいことです。


*高機能自閉症
(H.22.7月に確定診断)

*埼玉県在住

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

最近の記事
カテゴリー
リンク
[PR]
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。